整えること

片づけ祭りのあとに、向き合ったこと

一年ほど前(2014年2月頃)に、人生初の片づけ祭りを終え、その祭りのあと向き合うことになった感情について振り返ってみます。


初めての片づけ祭り、その後の気づき

初めての片づけ祭り


こんまりさんの片づけ方法と、それを知る以前の自己流の片づけ方法、どこが大きく違ったのだろう..  というか、全てが違っていました。当たり前ですね。

一番の大きな違いは、気持ち、モノへの向き合い方です。 

自己流の片づけのときは、何か仇をやっつけるような片づけ方だった気がします。部屋をきれいにしたいという前向きな動機よりは、なんだか気持ちが沈んだり、ざわついたり、自分で何をどうしたいのかよくわからないときに、ネガティブな何かを吐き出すように捨てる片づけをしていたというか。

だからなのか、片づけ後に出たいくつものゴミ袋は、とてもどんよりした風情でした。。


こんまりさんの片づけ方は、モノと向き合う姿勢が丁寧でやさしいと感じます。捨てるものにも感謝して手放す。(モノを擬人化して書かれているので本を読むとよりわかりやすいです)

『人生がときめく片づけの魔法』

『人生がときめく片づけの魔法2』


手放すゴミ袋の山でさえ、なんだかポジティブというか幸せな旅立ちを連想します。

これまで私も、長年使ったものやお世話になったもの、捨てにくかったものなどを捨てるときは、お清めの塩と称してぱらぱらと塩を振りまき、それから処分していました。それなのに、こんまりさんと違ったのは、やはりそこまで深い感情や感謝の気持ちがなく、単に形式的に捨てていたのかも、と。

そして、これまでも多少意識はしていたけれど、自分の生活、人生を大切にし愛着をもつ、という要素が決定的に欠けている、という事実。そのことをモノと向き合うなかで、より強く実感してしまいました。


片づけを通して感情が動く

夏祭りの高揚感が去った後の静かな感じ。“片づけ祭りのあと” というのは、私にとってまさにそんな状態に似ていました。

初めての片づけ祭りの直後は、ただ実践できたこと楽しく片づけられたことがうれしく、しばらく余韻に浸れますが、少し時間が経ち冷静になるとよくわかりました。


今後さらにものを減らしていけたとしても、生活や人生そのものに対する愛情が薄い、あるいは、人生の傍観者になっていると、どれだけがんばっても人生はときめかないのかもと。 

個人的にはかなりきついものに向き合うことになってしまいましたが、片づけでここまで感情が動くことも体験できました。

これから、さらにモノを減らしコンパクト路線を目指しつつ、日々の生活が楽しくなる片づけをしていこうと思います。

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