今月(7月)の片づけ予定は「小物類」「思い出品」でしたが、思い出品の片づけが思いのほかあっさり終了し拍子抜けしています。
「思い出品」はすでに絞られていたと気づく
思い出品の代表と言えば写真やアルバムでしょうか。もちろん写真もアルバムも持っていますが、数年前から紙に印刷された写真はことあるごとに処分してきたので、手持ちの写真・アルバムはすでにだいぶ絞られた状態になっていました。
あとは基本的にパソコン内のファイルに保存し、一部を除きペーパーレス化も進めています。
それ以外ではプレゼント等のいただきもの、自分で購入した記念のものなど様々。
「思い出品」の片づけに手を付けようと思った時に、ふと気づいたことがあります。
よく考えてみたら、これまで片づけてきた全てのものの中に思い出品は含まれていた、ということ。
つまりは、現時点ですでに思い出品はずいぶん絞られ、残したいものが今の場所にあるということになります。
わかりやすい品ばかりが思い出品ではない
4月から「衣類→本類→書類→小物類→思い出品」と、こんまりさんの片づけ手順に従っていますが、これまで片づけてきた衣類~小物類、すべてのカテゴリーの中に自分にとって思い出深いものはたくさんありました。
プレゼントや記念品など、いかにもわかりやすいものばかりが思い出品なわけではなく。目には見えない旅の思い出や日常のの出来事、人生で関わってきた人々との記憶というのもあります。思い入れのあるものは皆それぞれ違っていますね。
(他人から見たらどうしてそんなものがと思われそうなモノが、その人にとっては絶対に手放せない大切な思い出の品ということも、きっとあります)
思い出品の片づけはあっさりと終了
(まだすべての片づけが終わったわけではないけれど)ここまでの片づけ作業で、楽しい、うれしい、悲しい、辛い、、あらゆる感情を味わいながら、捨てるもの残すものを選んできました。あえて「思い出品」としなくても、その過程で、もう十分仕分けされてきていたんだなと思います。
昨年の一気に短期間に浮かれながら行った初めての片づけ祭りの時には、そんなことも意識せず気づくこともありませんでした。
初めての片づけ祭りこんなかんじで、私にとってのいかにもという思い出品は写真くらいで、あとの思い出品はすでに仕分けてきた衣類・本類・小物類の中にちょっとづつ潜んでいたので、一部の写真・アルバムを処分したら「思い出品」の片づけは終了してしまいました。とてもすっきりと。
あとは、「小物類」の仕分けがもう少しだけ残っています。片づけ手順としては若干入れ替わってしまいましたが、ようやく捨てる減らす作業の終わりも見えてきました。
後日談:
あっさり済んだと喜んでいた思い出品の片づけ。けれど、その後に実家で大量のアルバムが見つかり、やや呆然となりました。
まぁぼやいても仕方がないので、ここは覚悟を決めて、両親にも手伝ってもらい仕分けを行いました。親関連の写真・アルバムは本人たちに渡し、各自で捨てる残すの判断をしてもらうことに。
私に関連する写真類は、一部を除き、基本は全捨てにしようと決めていました。
理由はふたつです。ひとつは、長期経過による写真の劣化のため。もうひとつは、長年気づかずしまわれていたのだから、もし一生見ることがなかったとしてもきっと問題なかったはず、と思ったから。
写真を見ればいろんな記憶が蘇り、懐かしさももちろんあります。けれど、大事な思い出はきっといつまでも記憶の中に。そして、今は身軽な暮らし方に魅力を感じているので、その気持ちを大切にしていこうと思います。






