何事も無理をすると、身のまわりも心の中も散らかって、シンプルな生活ではなくなってしまうという話です。
それは、物自体も行動の仕方も、両方について言えることかもしれません。何か無理があったり違和感があったりすることについて、自分で気づくことが大切。
私自身の過去を振り返って、ときどき思い出す、わかりやすい例をあげてみます。
違和感のある物を持たない、無理な行動をしない。
過去に、自分の好みを脇に置いて、無理にカラフルな洋服をそろえたことがあります。
今思い出しても、どこかちくはぐで妙な感覚だったなと思います。
好きでない物を身に着けて、変化を試す。
コンパクトでシンプルな暮らしを目指す今、自分の心地よさを無視した衣服は長続きせず、結局は物とストレスを増やしただけだったと振り返ることができます。
(無理なものは無理..と気づけたので、私には必要な体験だったのかも)
洋服の色味やデザインというのは、ことあるごとに考えさせられます。
個人的には、わりと地味と言われるもの、シンプルなものが好きです。けれど、わるいことをしているわけでもないのに、自分の好みに対して、時々、妙なうしろめたさを感じることもありました。
20代終わり頃のこと。私が唐突にカラフルなものや柄物の洋服を買い集めたきっかけは、一緒に買い物に行った友人とお店のスタッフさんとのやりとりでした。
とあるデパートで洋服を物色。何事もあっさりが好きな私は、当時もシンプルや定番が好みで、その時も白や黒のセーターに気持ちが向いていました。
ですが、友人が「たまにはこういう色もいいよ」とすすめてきたのが、結構ビビッドな色のピンクのセーター。絶対に合わないと引きぎみの私に、そばにいたスタッフさんも友人と一緒になって猛プッシュ。
無理.. 似合わないから.. など、何度となくネガティブなやりとりがあったあと、まぁたまには気分も変わっていいのかなと妙に納得させられ。面倒になった私は、結局、その派手なピンクのセーターを購入することになりました。
そこからです。何のスイッチが入ったのか自分でもよくわかりませんが、なぜか、今までとは違うものを着てみようという気になり、カラフルな物、今まで着たいと思わなかった色柄の服を買い集めるようになりました。(その熱も、結局はほんの一時期で終わりましたが)
無理なものは、疲れやすく心地よくない。
「無理」って何だろうと思うことがよくあります。多かれ少なかれ、日常的に誰もがどこかで無理をしていると感じるからでしょうか。
心が病んでしまうほどの無理は禁物だけれど。洋服くらい、いつもと違う変化(負荷)を試してみよう、そんな心境だったのかもしれません。
そこそこ慣れてくれば、今までとはちょっと違う強めの色やデザインの服も、着ていて大きな抵抗もあまり感じなくなりました。
けれど、しばらく経つと、やっぱり飽きる.. なんだか心地よくない..。という感情を無視できなくなりました。
人から見て地味だシンプルだといわれるようなものでも、飽きない人は飽きない。人から見て派手すぎるといわれるようなものでも、それが好きな人はやはり飽きない。好みとは、そういうものなのかもしれませんね。
原色柄物は、私にとっては毎日身に着けるには落ち着かないアイテムらしく、ポイントや小物で楽しむくらいでちょうどよい、ということをあらためて自覚できました。
その後は、またじわじわとシンプル・定番服に戻っていき、カラフルな洋服たちはそれから何年もクローゼットや衣装ケースの中で冬眠状態に。 (最終的にそれらの服はすべて手放してなくなりました)
突如カラフルな服を集めたことは、自分の中でも妙な時期として印象に残っています。
日常の些細なことですが、何事も試してみたからわかったこと。よい経験になりました。
***
洋服に限らず。身のまわり物、行動、内面の状態など、違和感を覚えることや無理だと感じることを否定せずに受け入れつつ。
どういう物や行動が、自分にとって心地よく、生活がうまく流れていきそうなのか。
日々、気づいたり確認していくことも、シンプル生活には大切な作業なのかも。
好きか否か、必要か不要か、快適か不快か。
こんな自問自答を面倒に思わず習慣にしていけば、すっきりした暮らし方に近づけそうですね。







