整えること

なぜ「コンパクトな暮らし」をしたくなったのか、自問してみた

この何年かでじわじわと湧き上がってきたコンパクトで身軽な生活への願望について、その理由を自分なりに分析してみました。


なぜコンパクトに暮らしたいのか

コンパクトな暮らしへの願望は、私の場合、もしかしたら人生で失ってきた何かを、身軽になることで取り戻そうとしているのかも、という気がしています。

無用な消費行動をたくさんしてこなければ、モノに縛られたり、余計な執着をすることもなく、お金も時間も無駄にすることなく、他に実現できたことがもっとあったかもしれない、と考えてしまうのかも。

人生に「もしも」はないとわかっているし、元から大したものは持っていないのに、不思議な感情です。


自分では物欲は少ないほうだと思っていました。それでも、まるで吟味されなかったもの、使われなかった購入物たちを、今思い出してもなぜ買ったのか、どうしてほしいと思ったのか、わからないものが多すぎて、呆然としたり、しょんぼりしたり。(衣服類、雑貨、車、習い事の高額教材、等々)


エネルギーを分散させない方が生きやすくなる

あれもこれもやりたい、試してみたい。仕事でもプライベートでもそうやって色んなことにバランスよくうまく力を注げる人もいると思います。一方、 どれも中途半端になってしまう場合も。私はまさに後者。

やらないより色々試して失敗もして理解する、、それも人生なのでたくさんの回り道は仕方ないとは思っています。ですが、もっと早く自分の方向、的を絞れた方が物事を達成しやすく幸福感を得やすいのも確か。

あまりに多くの時間は流れてしまったけれど、こうしてモノと向き合って捨てて減らして身軽を目指すことで、今まで分散されていたエネルギーをひとつの方向にまとめようとしている感じがします。

物質的にも精神的にも余計なことに惑わされず、自分にちょうどいいサイズの身軽さ、物心ともにムリのないコンパクト生活を実現できたとき、今度はどんなことを感じ何が見えるのか。

今はそれを楽しみに、ひたすら減らし、残すものを選んでいきたいと思います。 


まとめ

今からモノを減らしたところで、過去の無駄な消費や労力が、なかったことにはならない。失くした時間も戻らない。

そこは、充分に承知しながら、捨てるものと向き合って多少の精神的痛さや後悔も感じながら、それでも残りの人生を良くし楽しくすることに集中してみようと。これが今、コンパクト生活を目指す理由(のようなもの)だと感じています。

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